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ほどほどに頑張った。
昨日の日記に書いた通り、このブログは今日で終了なわけです。
まあ書きたいことはもう昨日書いちゃったので、実は今日はあまり書くことなんてない…筈だったのですが……
いや、びっくりしました。
まさに一寸先は闇。人生いつ何が起きるかわからないものですね。
僕は今日、これから先の人生でも経験するかしないかような経験をしました。
なんというか、電車に揺られてちょいと出かけて公園を散歩していたんですよ。
丁度ナイターの草野球が終わったところなのか、まだ明かりがついていたんですね。
風も気持ちよかったので、その辺のベンチに座っていたのですが…
なんかおじさんともお爺さんとも言えるような男性に声をかけられました。
はい、結論から言えばゲ○の方にからまれました、。オ○マではなく○イでした。
いや、びっくりました。
最初は普通に話していたのですが…
なんか僕のことを触りだしてきたんですよ。ああ、これはまずいな、と。
「寒いだろ? 僕が抱きしめてあげるから」なんて言われた日にゃもう、あんた、と。
こいつはいけねぇーや、と。
「そうですね、寒いですね。それじゃあそろそろ帰ります」と。
おじさんそっちに帰るんですか? 僕はこっちなんで、さようなら、と。
まあこれは僕もいけなかったのでしょうね。
おじさんからすればテリトリーにそれらしき若者がきた。ちょいと声でもかけてみるか
それだけのことだったのでしょう。
僕が、ここがそういう場所であるという知識が欠如していた、ということでしょう。
いやはや、本当にいつ何が起きるか…
わからないから人生は楽しいのかもしれません。
はい、じゃあ一年間更新してきたこのブログもお終いです。
正直「最後の更新がこれかよ!?」って感じはありますが、終わりなんです。
最後に自分に一言
まあ一年間ほどほどに頑張ったな、お前さん!
まあ書きたいことはもう昨日書いちゃったので、実は今日はあまり書くことなんてない…筈だったのですが……
いや、びっくりしました。
まさに一寸先は闇。人生いつ何が起きるかわからないものですね。
僕は今日、これから先の人生でも経験するかしないかような経験をしました。
なんというか、電車に揺られてちょいと出かけて公園を散歩していたんですよ。
丁度ナイターの草野球が終わったところなのか、まだ明かりがついていたんですね。
風も気持ちよかったので、その辺のベンチに座っていたのですが…
なんかおじさんともお爺さんとも言えるような男性に声をかけられました。
はい、結論から言えばゲ○の方にからまれました、。オ○マではなく○イでした。
いや、びっくりました。
最初は普通に話していたのですが…
なんか僕のことを触りだしてきたんですよ。ああ、これはまずいな、と。
「寒いだろ? 僕が抱きしめてあげるから」なんて言われた日にゃもう、あんた、と。
こいつはいけねぇーや、と。
「そうですね、寒いですね。それじゃあそろそろ帰ります」と。
おじさんそっちに帰るんですか? 僕はこっちなんで、さようなら、と。
まあこれは僕もいけなかったのでしょうね。
おじさんからすればテリトリーにそれらしき若者がきた。ちょいと声でもかけてみるか
それだけのことだったのでしょう。
僕が、ここがそういう場所であるという知識が欠如していた、ということでしょう。
いやはや、本当にいつ何が起きるか…
わからないから人生は楽しいのかもしれません。
はい、じゃあ一年間更新してきたこのブログもお終いです。
正直「最後の更新がこれかよ!?」って感じはありますが、終わりなんです。
最後に自分に一言
まあ一年間ほどほどに頑張ったな、お前さん!
- [2006/09/23 23:54]
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一年間
何気にこのブログで日記を書き始めて一年になる。
三日坊主どころか一日坊主な僕からすれば凄まじい快挙なのである。
知り合いに紹介しているわけでもない
アクセス数がすごいわけでもない
とくに目的があるわけでもない……いや、強いて言えば書くということの練習だろうか。
まあこんな感じで、何故一年も書き続けた・書き続けられたのかは、まったくの謎である。
確かに最初は目的があった。
漫画の感想とかニュースサイトの真似事をしていた。
だがこれはすぐに挫折した。
それでも日記だけは続けていたのです。
まさに僕の自己満足という表現の場ということだったのだと思う。
この僕の自己満足の文章に反応、コメントをのこしてくれたりした人は稀である。
それ故に、コメントがついたりすれば、それはもう嬉しかったものである。
僕の文章を批判するようなコメントでもそれは同じである。
また僕はこのブログで他者のブログとのコミュニケーションをとるなどということは皆無であった。
ただ黙々と日記を書き、たま〜にコメントがつけば喜ぶ。そんなブログだったのである。
一周年が近づくにつれて、ある想いが頭の中に浮かぶようになった。
「そろそろ潮時だな」
なんというか、ネット上での他者との交流もなく、ただ黙々と日記を書くというスタイル。
これはそろそろ潮時だ、そう思ったのです。
だったら丁度一周年の日にこのブログは辞めて、今度は友人にも紹介してさらなる自己満足の高みのようなスタイルにするべ!
……そう思っていたのに
僕は勘違いをしていました。
僕はこのブログは去年の9月23日から始めたもんだとばかり思い込んでいたのですが…
今、ログを見てみたら9月の20日から始めていたようだ。
過ぎてるじゃん! 一周年記念日!!!
これには、もう、なんというか、普通にショックだった。
僕の、この、なんか丁度一年間で、スパッと、辞めて、新たなステージに行くぞ、っていう、なんていうか…
まあ普通にショックだったのです。
しょーがない、確かに過ぎてしまったことはしょーがない
起きたことは受け入れるしかない。ショックだけど。まあしょーがない。
でもまあ、せっかく勘違いしてしまったのなら、明日23日までやるのも悪くない。
そういうわけでこのブログは明日で終了なのです。
実際、本当にアクセス数なんて「屁」みたいなもんで、誰も読んでいないのも知っています。
それでも、何人かの方はたま〜〜〜〜にお気に入りにしてくれたりしたようです。
アクセス解析(こんなアクセス数のくせに)なんていやらしいものをつけているので、それが分かると、これはまあかなり嬉しかったもんである。
どんな理由にせよ、もう一回みたいと思ってくれたことに変わりはないからです。
それは、よきにせよ悪しきにせよ、その人に、少しでも、本当に少しでも心に影響を与えれることができたということだからです。
こういうことを書いてしまのはどうかと思うのですが…
このブログを始めて一週間もしないうちに、お気に入りに登録してくれた方が一人いました。
こんなブログの何を気に入ってくれたのかわかりませんが、最初のころは結構頻繁にみてくれていたようです。
あまりの頻繁さに、僕は知人の誰かにバレたのかと思っていました。
まあ1、2ヶ月を過ぎれば、一週間に一回ほどの来訪となっていましたが。
正直、ヲチでもされているのか?
などと無礼にも疑ったことはありますが、この方が一週間に一度でも見てくれるのは、いつしか僕のブログを書く上でのモチベーションを上げることになっていたのは確かです。
コメントをつけてくれるわけでもありません。ただ見にきてくれるというだけで、やっぱり純粋に嬉しいものはありました。
しかし、この方には何時かコメントを貰いたいものだ、とも思っていたのですが
ここ最近はどうやら見てくださっていないようななので…正直残念なのであります。
まあもしこの記事を読んでいただけならば、コメントくだされ、お願いしますだ。
だらだらと無意味に長く書いてしまうのは良くないと思うのですが、一年も付き合ったこのブログも残りあとわずかとなると、やっぱり無意味に長く書いてしまいます。
そういえば最初のころは「一日1000文字は書くぞ」とか、そういう意気込みもありました。
いつしか一日200〜300文字なんてことが多くなってしまいましたが。
一年
一年かぁ
いやはや、人間わからぬもんですね
三日坊主どころか一日坊主な僕からすれば凄まじい快挙なのである。
知り合いに紹介しているわけでもない
アクセス数がすごいわけでもない
とくに目的があるわけでもない……いや、強いて言えば書くということの練習だろうか。
まあこんな感じで、何故一年も書き続けた・書き続けられたのかは、まったくの謎である。
確かに最初は目的があった。
漫画の感想とかニュースサイトの真似事をしていた。
だがこれはすぐに挫折した。
それでも日記だけは続けていたのです。
まさに僕の自己満足という表現の場ということだったのだと思う。
この僕の自己満足の文章に反応、コメントをのこしてくれたりした人は稀である。
それ故に、コメントがついたりすれば、それはもう嬉しかったものである。
僕の文章を批判するようなコメントでもそれは同じである。
また僕はこのブログで他者のブログとのコミュニケーションをとるなどということは皆無であった。
ただ黙々と日記を書き、たま〜にコメントがつけば喜ぶ。そんなブログだったのである。
一周年が近づくにつれて、ある想いが頭の中に浮かぶようになった。
「そろそろ潮時だな」
なんというか、ネット上での他者との交流もなく、ただ黙々と日記を書くというスタイル。
これはそろそろ潮時だ、そう思ったのです。
だったら丁度一周年の日にこのブログは辞めて、今度は友人にも紹介してさらなる自己満足の高みのようなスタイルにするべ!
……そう思っていたのに
僕は勘違いをしていました。
僕はこのブログは去年の9月23日から始めたもんだとばかり思い込んでいたのですが…
今、ログを見てみたら9月の20日から始めていたようだ。
過ぎてるじゃん! 一周年記念日!!!
これには、もう、なんというか、普通にショックだった。
僕の、この、なんか丁度一年間で、スパッと、辞めて、新たなステージに行くぞ、っていう、なんていうか…
まあ普通にショックだったのです。
しょーがない、確かに過ぎてしまったことはしょーがない
起きたことは受け入れるしかない。ショックだけど。まあしょーがない。
でもまあ、せっかく勘違いしてしまったのなら、明日23日までやるのも悪くない。
そういうわけでこのブログは明日で終了なのです。
実際、本当にアクセス数なんて「屁」みたいなもんで、誰も読んでいないのも知っています。
それでも、何人かの方はたま〜〜〜〜にお気に入りにしてくれたりしたようです。
アクセス解析(こんなアクセス数のくせに)なんていやらしいものをつけているので、それが分かると、これはまあかなり嬉しかったもんである。
どんな理由にせよ、もう一回みたいと思ってくれたことに変わりはないからです。
それは、よきにせよ悪しきにせよ、その人に、少しでも、本当に少しでも心に影響を与えれることができたということだからです。
こういうことを書いてしまのはどうかと思うのですが…
このブログを始めて一週間もしないうちに、お気に入りに登録してくれた方が一人いました。
こんなブログの何を気に入ってくれたのかわかりませんが、最初のころは結構頻繁にみてくれていたようです。
あまりの頻繁さに、僕は知人の誰かにバレたのかと思っていました。
まあ1、2ヶ月を過ぎれば、一週間に一回ほどの来訪となっていましたが。
正直、ヲチでもされているのか?
などと無礼にも疑ったことはありますが、この方が一週間に一度でも見てくれるのは、いつしか僕のブログを書く上でのモチベーションを上げることになっていたのは確かです。
コメントをつけてくれるわけでもありません。ただ見にきてくれるというだけで、やっぱり純粋に嬉しいものはありました。
しかし、この方には何時かコメントを貰いたいものだ、とも思っていたのですが
ここ最近はどうやら見てくださっていないようななので…正直残念なのであります。
まあもしこの記事を読んでいただけならば、コメントくだされ、お願いしますだ。
だらだらと無意味に長く書いてしまうのは良くないと思うのですが、一年も付き合ったこのブログも残りあとわずかとなると、やっぱり無意味に長く書いてしまいます。
そういえば最初のころは「一日1000文字は書くぞ」とか、そういう意気込みもありました。
いつしか一日200〜300文字なんてことが多くなってしまいましたが。
一年
一年かぁ
いやはや、人間わからぬもんですね
- [2006/09/22 23:59]
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誇るべき、そして尊きもの
最近妄想の調子がいい。
「妄想の調子がいい」というのも、まったくもって変なことであるのですが、要するに考えるのが楽しいってことなので、僕にとっては幸福なことこの上ないというわけです。
妄想ができるってことは、それだけものを考える余裕があるってことです。
「心に余裕(ヒマ)のある生物、なんと素晴らしい!」ってわけです。
寄生獣のなかのミギーの台詞ですが、これはまさに人間という生き物の真理をついていると思います。
「人間は考える葦である」パスカルも言っています。
人間が自然界で弱いものかどうかなんてのは知りません。
しかし人間に与えられた「考える」という能力。これこそが人間にとっても最も誇るべき能力だと僕は思います。
一体なんのために人間が存在するのか?
世界の、宇宙の、そのまたさらに……そういったものを解明するためなのか?
じゃあ他の動物たちは、それを解明する人間の肥やしにすぎないのか?
逆に人間すらも肥やしにすぎないのか?
そういったものを解明して、すべてを理解した。でも、じゃあそれは誰が創ったのか?
創った人を創ったのは誰なのか? その誰もまた誰に創られたのか?
答えは永久にでません。
こういう風に考えたとき、僕はまったくもって人間が生きている、生き続ける意味というは無いのだと思いました。
はっきり言って僕が今すぐ死んでも、子供をつくりその子供がまた子供をつくっても……
二つのことの違いなんてあってないようなもんです。
しかしそれでもいいのです。
違いなんてないのかもしれません。意味なんてないのかもしれません。
それでも自殺なんてことはしないし、人生を放棄して自堕落に生きることもしません。
死んだら「考える」ことができなくなります。
「我思う、ゆえに我あり」デカルトも言っています。
考えている限り僕は存在しているのです。
誰がこの世界をつくったなんてことは知りません。
教えてくれるんなら確かに知りたい。でもそれはできないでしょう。
だったらやっぱり僕たちにできることは、考えていられる今という瞬間を、自分が想い描くように生きることです。
まあ実際は難しいもんです。
僕だってこんな偉そうなことを言っていても、幽霊怖いし仕事は面倒だしコミュニケーション苦手だし回りに影響されて焦ったりもします。理屈じゃない感情です。
理屈じゃない感情は確かにある。でも理屈をこねたっていいじゃないか。
理想を言うことは大事です。
理想を実現にすることには何の意味もないかもしれない。
でもその理想は「考えた」からこそ描けたものだから。尊いものです
「妄想の調子がいい」というのも、まったくもって変なことであるのですが、要するに考えるのが楽しいってことなので、僕にとっては幸福なことこの上ないというわけです。
妄想ができるってことは、それだけものを考える余裕があるってことです。
「心に余裕(ヒマ)のある生物、なんと素晴らしい!」ってわけです。
寄生獣のなかのミギーの台詞ですが、これはまさに人間という生き物の真理をついていると思います。
「人間は考える葦である」パスカルも言っています。
人間が自然界で弱いものかどうかなんてのは知りません。
しかし人間に与えられた「考える」という能力。これこそが人間にとっても最も誇るべき能力だと僕は思います。
一体なんのために人間が存在するのか?
世界の、宇宙の、そのまたさらに……そういったものを解明するためなのか?
じゃあ他の動物たちは、それを解明する人間の肥やしにすぎないのか?
逆に人間すらも肥やしにすぎないのか?
そういったものを解明して、すべてを理解した。でも、じゃあそれは誰が創ったのか?
創った人を創ったのは誰なのか? その誰もまた誰に創られたのか?
答えは永久にでません。
こういう風に考えたとき、僕はまったくもって人間が生きている、生き続ける意味というは無いのだと思いました。
はっきり言って僕が今すぐ死んでも、子供をつくりその子供がまた子供をつくっても……
二つのことの違いなんてあってないようなもんです。
しかしそれでもいいのです。
違いなんてないのかもしれません。意味なんてないのかもしれません。
それでも自殺なんてことはしないし、人生を放棄して自堕落に生きることもしません。
死んだら「考える」ことができなくなります。
「我思う、ゆえに我あり」デカルトも言っています。
考えている限り僕は存在しているのです。
誰がこの世界をつくったなんてことは知りません。
教えてくれるんなら確かに知りたい。でもそれはできないでしょう。
だったらやっぱり僕たちにできることは、考えていられる今という瞬間を、自分が想い描くように生きることです。
まあ実際は難しいもんです。
僕だってこんな偉そうなことを言っていても、幽霊怖いし仕事は面倒だしコミュニケーション苦手だし回りに影響されて焦ったりもします。理屈じゃない感情です。
理屈じゃない感情は確かにある。でも理屈をこねたっていいじゃないか。
理想を言うことは大事です。
理想を実現にすることには何の意味もないかもしれない。
でもその理想は「考えた」からこそ描けたものだから。尊いものです
- [2006/09/21 23:59]
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他人のためではなく自分のため。それでもいいじゃないか
今日は友人の買い物に付き合うためだけに学校へ行きました。
しかも結局友人は買わなかった。
それじゃ悔しいので、僕は100円ショップでベルトを買いました。
耐久性を気にしなければ、何気にいいですよ、100円ショップのベルト。
それと最近くしゃみと鼻水がとまりません。
なんなんでしょうか、花粉症なんでしょうか。
わかりません。わかりませんが、辛いことは確かなわけです。
そして去年講義を受けていた教授が、昨日亡くなってしまったそうです。
僕なんかは授業はほとんど受けないで、テストやって単位もらっただけのような生徒ですが…
その教授へは心よりのご冥福をお祈りします。
人が死ねば悲しい。
人は他人が死んだときに涙を流すのは、その人のために泣くのではなく、その人を失って悲しんでいる自分のために、自分に同情して泣くのだというよう科白があります。
そうなのかもしれません。
僕も泣くとしたら、多分そういう理由で泣くんだということをわかっているから。
それでも、その悲しいという感情
きっとそれは人類に与えられた誇るべきものだと思います。
人が死んだ。悲しい。
それでいいじゃないですか
しかも結局友人は買わなかった。
それじゃ悔しいので、僕は100円ショップでベルトを買いました。
耐久性を気にしなければ、何気にいいですよ、100円ショップのベルト。
それと最近くしゃみと鼻水がとまりません。
なんなんでしょうか、花粉症なんでしょうか。
わかりません。わかりませんが、辛いことは確かなわけです。
そして去年講義を受けていた教授が、昨日亡くなってしまったそうです。
僕なんかは授業はほとんど受けないで、テストやって単位もらっただけのような生徒ですが…
その教授へは心よりのご冥福をお祈りします。
人が死ねば悲しい。
人は他人が死んだときに涙を流すのは、その人のために泣くのではなく、その人を失って悲しんでいる自分のために、自分に同情して泣くのだというよう科白があります。
そうなのかもしれません。
僕も泣くとしたら、多分そういう理由で泣くんだということをわかっているから。
それでも、その悲しいという感情
きっとそれは人類に与えられた誇るべきものだと思います。
人が死んだ。悲しい。
それでいいじゃないですか
- [2006/09/20 23:24]
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原因
今日は久しぶりに漫画喫茶に行きました。
「会員カードはございますか?」
という店員さんの声に従って財布の中を探すと…無い。見事になくしてしまっている。
受付時にテンパってしまうという醜態を晒すこととなりました。
最初から何かがおかしかったのです。
普段の僕ならばこういう事態を避けるために、店に入る前にカードの有無を確認しているはずなのに。
今日に限ってしなかった。そして今日に限ってカードはなくなっていた。
まあ失敗というのはそういうものなのかもしません。
慢心…とは違うか。緊張感のなさというか、注意力が足りなかったというか…
僕が何か失敗をすると、父親は僕によく「先をよめ」と言います。
こうしたからこうなった。ああしたからああなった。事が起こるからには原因があります。
だったら事が起きないようにするには、その原因を起こさないようにすればいいわけです。
簡単なようで難しいんですがね。
「会員カードはございますか?」
という店員さんの声に従って財布の中を探すと…無い。見事になくしてしまっている。
受付時にテンパってしまうという醜態を晒すこととなりました。
最初から何かがおかしかったのです。
普段の僕ならばこういう事態を避けるために、店に入る前にカードの有無を確認しているはずなのに。
今日に限ってしなかった。そして今日に限ってカードはなくなっていた。
まあ失敗というのはそういうものなのかもしません。
慢心…とは違うか。緊張感のなさというか、注意力が足りなかったというか…
僕が何か失敗をすると、父親は僕によく「先をよめ」と言います。
こうしたからこうなった。ああしたからああなった。事が起こるからには原因があります。
だったら事が起きないようにするには、その原因を起こさないようにすればいいわけです。
簡単なようで難しいんですがね。
- [2006/09/19 22:03]
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